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われわれの身近で日常使われている物事や言葉でその根拠や背景を知らない場合が意外
と多いようにも思われます。「もの知りノート」と題して細かい項目を少しづつ取り上げてみたい
と思います。
日本における漢字の読み方は音読み、訓読みとあり、また音読みでも何種類かに分かれてい
て、それぞれに時代背景があり、非常に興味深いものがあります。調べた範囲で述べてみまし
ょう。
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1、はじめに
日本の漢字の読み方ほど種類の多く分かれている言葉は少ないでしょう。
日本語を学ぶ外国人を非常に悩ませる大きな要因になっているようです。
外国人ばかりではなく日本人にとってもやっかいな問題なのです。
例えば、「生」の字は「せい」「しょう」「いきる」「うむ」「はえる」「なま」「き」があり、「相生
(あいおい)」「桐生(きりゅう)」「羽生(はにゅう)」や「羽生、土生(はぶ)」など固有名詞ま
で含めれば大変な数になります。
漢字の発音には大きく分けて「音読み」と「訓読み」があります。
もともと日本には文字がありませんでした。そこで中国の文字を採り入れて、その意味を和
音で表現したのが「訓読み」です。いわば漢字にやまと言葉を当てはめ翻訳したもので、
従って上記のように複数の読み方があるのです。
「訓読み」は必要に応じて「送り仮名」をつけます。
中国の文字を採り入れると同時にその発音もそのまま使うということもありました。
これが「音読み」です。
しかし日本語の発音の音韻は中国ほど多くなかったので、日本式の音韻を採用したという
こともあり、いわば日本なまりというか、本来の中国の発音とは違っている面も多いのです。
音読みは大きく分けて「呉音」、「漢音」、「唐音(宋音)」と三つに分類されます。
これらは日本に導入された年代、また中国のどの地域から導入されたかによって分けられ
ます。「呉音」、「漢音」、「唐音」の順番に導入されたのです。
現在の中国の標準語は北京を中心とする北方方言が基準とされていますので、これら
(呉音、漢音、唐音)は今の中国語の発音とも異なります。
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2、呉音について
まず最初に日本導入された言葉は呉音であるということは、間違いない事実のようです。
中国には八つの発音の系統があるといわれます。即ち、呉、湖南、江西、広東、福建南、
福建北、客家、北方の八つの言語系統(方言)です。それぞれの方言は地域によってまた
少しづつ変化があります。西安(長安)も一応地域的には北方方言に属します。台湾は
対岸の福建南の言葉が海峡を越えて伝えられています。
呉音がいつ導入されたかということについては次の諸説があり、定説とされるものは未だ
ありません。
一番古くはBC5世紀呉越の戦いで呉が滅びて、呉の人たちが日本に逃げのびてきたとす
る説が最も早いとする説でしょう。(当ホームページ「中国あれこれ」のなかの「呉音の伝来」
の項目を参照下さい)
次に古いとされる説は秦の始皇帝の命を受けて不老長寿の仙薬を探しに「徐福(じょふく)
」が日本に来た際(これは伝説ではなく事実のようです、参考1−徐福上陸地点図、参
考2−徐福像、参考3−徐福上陸地点記念碑)、揚子江の南である呉の地域から出
発したので呉の言葉を話す人たちを多く連れてきたとする説です。
三つ目の説は、仏教は朝鮮半島を経由して日本に伝来したので、朝鮮半島には呉の
地域から伝来したので、仏教と同時に呉音が日本に伝来したとする説です。
仏教用語はほとんど呉音で読まれているというのがこの説のよりどころになっています。
中国の南北朝時代、南朝との交流で朝鮮半島に呉音が入ってきたといわれていますが、
しかしながら地理的には北朝の方が近いのです。
さらには、法隆寺の仏像は北魏の雲崗(うんこう)石窟にある様式と同じといわれています。
また、日本から北魏に使者が来たとする記述が中国に残っていますし、朝鮮半島を経由
してかどうかは別にして北朝との付き合いもあったとするのが普通の見方でしょう。
朝鮮半島経由の呉音の伝来説には賛成しかねます。
四つ目の説は、三国時代(即ち魏、呉、蜀の三国志の時代)の呉の国から伝来したとす
る説です。
以上を総括して、さかのぼって別の観点から検証すると、BC5世紀が日本の古代史の中
で縄文時代から弥生時代への移行の時期とするのが最近の定説となっていますが、縄文
時代と弥生時代を区分する大きな出来事は何かというと、それは「水稲の伝来」なのです。
水稲は揚子江の下流、即ち呉の地域から伝来したというのが定説になっていますから、水
稲だけでなく同時に呉の言葉も伝来したと見るのが最も自然な見方なのではないでしょう
か。
更に「徐福」が連れてきた呉の人たちが呉音の定着に力を貸したと見るべきでしょう。
従って、私は呉音の伝来は非常に早かったと見るのが妥当だと考えます。
呉音と仏教との関連については、日本において呉音がある程度定着しているところに
仏教が導入された、従って仏典など仏教関係のものは当初から呉音で読まれたという
解釈を採っています。
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3、漢音について
中国では南北朝の後、隋によって統一され、更に唐という中国の歴史上で最も繁栄した
時代を迎えます。
日本は遣隋使、遣唐使を送り(併せて6000名に達したといわれる)、中国の国家制度、
や文化を積極的に採り入れました。この時代の都は長安・洛陽です。長安・洛陽は江南
から遠く離れた内陸です。この地方の発音を漢音といいます。
呉音を勉強して行った遣隋使や遣唐使はさっぱり言葉が通じません。
そこで、日本政府は、遣唐使達に漢音の勉強をするとともに、法令や書類の読み方は漢
音で統一するよう指示を出したのです。
このあと中国語の読み方は漢音が主流となったのです。
しかし、仏教の関係者は今まで慣れ親しんだ呉音を簡単に漢音に変えるるわけには行か
なかったのです。
これによって官庁や学者は漢音、仏教は呉音という区別が生まれました。
江戸時代の後期には次のように使い分けられていたようです。
儒教−−−−漢音
仏教−−−−呉音
和歌・国学−呉音
詩文・雑書−漢音・呉音
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4、唐音(宋音)について
宋、元、明、清時代の中国音を伝えたものの総称。
禅僧や商人などの往来に伴って南のほうの発音が伝えられた。
漢音とちがって唐音(宋音)は体系的なものではなく、非常に部分的です。
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5、呉音、漢音、唐音、現在の中国標準語の発音の例
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文字
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呉音
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漢音
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唐音
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北京標準語
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明
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ミョウ
明星、灯明
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メイ
明暗、黎明
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ミン
明朝体
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ミン
ming
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行
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ギョウ
行事、苦行
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コウ
行動、励行
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アン
行脚
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シン
xing
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京
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キョウ
京都
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ケイ
京浜
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キン
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ジン
jing
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暖
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ナン
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ダン
温暖
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ノン
暖気(呑はあて字)
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ヌアン
nuan
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(参考文献)
インターネットフリー百科事典 「Wikipedia」
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| (参考1)徐福一行の上陸地点と進路の一部 |
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上記を クリックすると拡大します
(徐福は最初に佐賀県に上陸そのあと沿岸沿いに東上したといわれる。
船団は海流にそってばらばらになって上陸したといわれています。)
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(参考2)徐福(BC278〜BC208)像
(鹿児島県串木野市) |
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(参考3)徐福上陸地記念碑
(佐賀県諸富町金立神社境内にある石碑) |
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高さ6メートル、中国秦皇島にある始皇帝像
と向き合っているといわれている
(秦始皇帝像についてはこのホームページ歴
史探訪の旅の万里の長城の欄をご覧下さい)
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ここに記載したこれら以外に徐福の記念
の石碑、石像、神社が全国に数多くあり
ます |
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