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サッカーの起源については諸説あり、その中でも従来イングランド説が最有力でしたが、この度
FIFAが中国起源説を正式に認定しました。(参考文献人民網記事参照)
すなわち日本にも1400年前に伝えられた蹴鞠(けまり)がその起源であるということです。
BC300年以上前の戦国時代斉の国の都臨ず(シ−さんずいに輜の右のつくり)市(現在はず
博市臨ず区)がその発祥の地であるということです。
司馬遷の史記(BC91頃完成)に次のような記述があります。
「臨ずは7万戸を擁する商工業の発達した賑やかな大都会であった。臨ずの名医「淳于」の
診察した記録の中に、医者の言うことを聞かず蹴鞠に熱中しすぎて不治の病にかかった患者
がいた。」
すなわち臨ずは斉の文化の発祥の地であり、蹴鞠は春秋戦国時代斉の国で誕生したもので
あり、歴史の変遷の中で紆余曲折はあったが、いままでその文化は保存されてきた。
2004年FIFA(Federation Internationale de Football Association)のブラッター会長が「サッ
カーの起源は中国の蹴鞠である」と公式に発表した。
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| 臨ず区から出土した蹴鞠の彫り物 |
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| ず博市(山東省)の位置 |
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中国の蹴鞠の歴史は戦国時代軍事教練の一環として採り入れられたのがはじまりで、漢の
時代には12名のチームで鞠を争奪し「球門」に入れた数を争うという遊技として確立し、宮廷
内で大規模な競技が行われた。唐時代にはルールが多様化し球門は両チームの間の網の
上にもうけられたりした。
鞠は羽を詰めたものから、動物の膀胱に空気を入れ良く弾むものへと変わってきている。
モンゴルの西方遠征に伴って逐次西の方に拡がり英国にも伝えられたものと思われる。
東南アジアでも蹴鞠が起源とされているセパタクロー(蹴る鞠という意味)が盛んである。
宋時代には競技としての色合いが薄れて一人又は集団で地面に落とさないように蹴る技を
披露する遊びとなった。
貴族や官僚があまりに熱中しすぎるので明時代には禁止令が出され、また清時代にも禁止
令が出されたため、ほとんど、見かけることがなくなっていた。
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ふたチームに別れた競技の様子(真ん中の
まるい球門に球を通すと得点になる |
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| ず博市に今も保存されている蹴鞠 |
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日本では600年代仏教などとともに中国より渡来した。中大兄皇子と藤原鎌足が蹴鞠がきっか
けで親密になり、645年大化の改新が興ったことは広く知られている。
平安時代は蹴鞠は宮廷競技として貴族の間で広く親しまれるようになり、清少納言の「枕草子」
にもその記述がある。
蹴鞠は貴族だけに止まらず、天皇、公家、将軍、武士、神官また一般大衆老若男女問わず、
広く親しまれるようになった。
蹴鞠に種々の制度が完成したのは鎌倉時代だと言われている。
四隅を元木(蹴り上げる高さの基準ともなった)で囲まれた三間ほどの広場の中で行われる。
一チーム4〜8人で靴を履いた足で蹴り上げどのくらい続けられるかという団体戦と、鞠を落とし
た方が負けという個人戦とがあった。
現在でも伝統行事として各地で蹴鞠が行われている。
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日本における蹴鞠の伝統行事の様子 |
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参考文献
「人民網」記事FIFAシャンパーニュ事務局次長は次のように語った「サッカー発祥の地は
自国であると主張する国は多いが、サッカー史を研究する学者によればサッカー発祥地が
中国だとする確かな証拠がある。古代中国の蹴鞠がサッカーの起源とされる。サッカーが欧
州に登場する以前に中国ではサッカーの原型が生まれていた」
ず博市および臨ず区ホームページ
インターネット百科事典「Wikipedia」
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