長城の最初のものはBC7世紀楚の国が斉の侵略を防ぐため造られたといわれる。
BC221年秦の始皇帝が中国を統一して以降、漢民族各国間のそれまでの長城
を取り壊させて、十年の歳月を費やし北方民族からの防衛のための長城の建設に
取りかからせた。その長さは一万里に達したといわれ、万里の長城と称されるゆえん
がここにります。(ただし中国の一里は500mですので5000kmということになります。
「城」は中国語では城壁を意味します。)                                               始皇帝のこの建設は人民に過酷な労役を課したことでも有名です。ただし当時の
長城は土を水で練って乾燥させたものや砂を挟み込み小石を積み上げたものなどで、
現在見られるものはいずれも明時代に石と煉瓦で建造されたものです。

(1980/7〜2006/5の間訪問)

北京周辺地図(ここをクリックすると表示されます)

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慕田峪(ムーティエンユー)長城。  北京の東北70kmのところ
にある。比較的平坦で観光客も少なく、長距離歩いて楽しむ
のに適している。米国クリントン大統領夫妻は訪中の際、万里
の長城の観光はここを選んだ。 
時期的には秋の紅葉の季節が最高。

慕田峪長城と筆者。
熟年の留学生と二人で北京から長距離バスを利用して行った。                         登山スタイルで長距離歩く観光客もいる。

司馬台(スマータイ)長城。 北京の140kmのところにある。                    最も険しいところに建てられた長城である。 馬はおろか人でも
越せな
いような地形のところに何故長城が必要なのか疑問にも
感じるが、北
方民族に対して領土の境界線を示す意味もあっ
たようである。海抜1000mくらいのところにある。
金山嶺長城と隣接しており、金山嶺長城からも行ける。

司馬台長城入り口。英国人観光客と筆者。           
碑には「万里の長城は世界で最高である、中国の長城の中で
も司
馬台長城が最高であるといえる」とある。後方にかすんで見
える山脈の上に建
設されている。 右側に見えるリフトで中腹ま
で行ける、更に短い別のリフ
トにつながるが、後は急激な坂道を
手すりにつかまりながら登らねばならない。

司馬台長城を歩く。長城の道自身もかなり急な傾斜になってい
る。当日観光客は殆どいなく、先を歩く二人は英国人観光客と
中国人
ガイドである。 この英国人観光客香港生まれでロンドン
在住の
い中、驚いたことに万里の長城は北京から最も遠い最も
観光客の少ない司馬台長城を選んだ。
ホテルの団体バス旅行に申し込みをしたが、他に希望者がなく、
団体料
金で乗用車で観光客二人に運転手とガイド付きという
ゆったりした観光になった。   

司馬台長城の手前にあるのが金山嶺(Jinshanling)長城です。
司馬台長城までつながっており歩いて行くことができます。
比較的なだらかで変化に富んだ長城でおすすめの長城の一つです。
交通は司馬台よりも不便で、時間がかかりますが、じっくり司馬台
まで歩くのも一興でしょう。

八達嶺長城は北京周辺の万里の長城に中で最も有名である。
連日多くの観光客を集めている。長城といえば八達嶺長城に案
内される。
一般的すぎてまた観光客も多すぎてあまりおすすめではない。

八達嶺長城から20キロくらい西北に延慶県がありそこに龍慶峡と
いう峡
谷がある。桂林の風景に似たところで一見の価値がある。
リフトや船に乗
って行くため一日の日程が必要であり、八達嶺のつ
いでに行くわけには
行かない。距離が離れているためか、外国人
観光客は少なく北京現地
の観光客が多い。

大境門(ダジンメン)。北京の西北220kmのところに張家口(ジャ
ンジャ
ウ)という町があり、この町の北側に珍しく町を横切る形の
長城がある。
北に内蒙古自治区の大草原、西に山西省を望む
交通の要衝です。 
古くから蒙古との交易の拠点でもあったところです。
国民党との抗争の中で人民解放軍がこの門から首都に入城し
た事でも
有名です。                         

大境門の長城上部通路。 前方に見える山脈と後方の山脈が
万里の
長城でつながっている。右側に見える土で固めた建造物
が明代以前に
造られた昔の烽火台と思われる。この長城は小石
を積み重ねた部分などもあり、明代以前の工法もうかがい知るこ
とができる。

居庸関(きょようかん)長城。外国人観光客が真っ先に行く八達
嶺(はっ
たつれい)長城の近く北京から行くと手前にある。                       八達嶺と同じく観光客(こちらは主として中国人)が多い。
北京の北西の守りの要衝、満州族の兵がここから入城し清朝成
立のき
かけとなった。

水府関長城。
居庸関長城のそばにある。
珍しく川を横切る形の美しい長城である。

老龍頭(ラオロントウ)。北京の東300kmのところにある。                   現在万里の長城は東は山海関(さんかいせき)に始まり西は嘉
峪関(ジ
アユウグァン)に終わると言われているが山海関の東にあ
り海に接するとこ
ろが老龍頭である。
万里の長城の事実上の東の出発点である。

秦皇島(しんこうとう)の始皇帝像。
始皇帝が永遠の生命を願って海に入水した所。
秦皇島は中国では唯一皇帝の名前にちなんでつけられた地
名である。
山海関のそばにある。

秦始皇帝巡幸の図。(中国通史より)
始皇帝は完全防護の馬車の幌の中にいる。

蒙姜女(もうきょうじょ)廟の像。始皇帝による万里の長城建
設のため夫
が過労死し、それを知ってその場で自害して果て
たという。昔から貞女の鑑とされる。
また、万里の長城の建設のため一般庶民がいかに過酷な労
役を課され
たかを今に伝えるエピソードとなっている。
山海関の東20kmのところにある。   

甘粛省の河西回廊にそって嘉峪関(かよくかん)に向かって漢時
代の長城が延々と続く。
なかには漢時代の長城を明時代になって修復しているものも見
受けられる。
これは張掖(ちょうえき)の東山丹(シャンダン)にある漢時代の
長城です。

万里の長城は東は山海関に始まり、西は嘉峪関に終わると
言われている
明時代の最西端の関所で堂々たる風格を備えています。
かなりの兵員を常駐させていたものと思われます。

嘉峪関長城のすぐ東隣にあるのが懸壁長城です。
険しい断崖を駆け上がるような感じで造られた長城です。
頂上まで登ってみたかったのですが、時間の関係で省略
せざるを得ませんでした。
これだけ険しい表情の長城も珍しいのではないでしょうか。

嘉峪関長城のさらに西、北大河の絶壁で長城は途絶えています。
まさに事実上の終点です。
この絶壁は垂直になっており、自然の難攻不落の長城といえる
でしょう。