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慕田峪(ムーティエンユー)長城。 北京の東北70kmのところ
にある。比較的平坦で観光客も少なく、長距離歩いて楽しむ
のに適している。米国クリントン大統領夫妻は訪中の際、万里
の長城の観光はここを選んだ。
時期的には秋の紅葉の季節が最高。
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慕田峪長城と筆者。
熟年の留学生と二人で北京から長距離バスを利用して行った。 登山スタイルで長距離歩く観光客もいる。
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司馬台(スマータイ)長城。 北京の140kmのところにある。 最も険しいところに建てられた長城である。 馬はおろか人でも
越せないような地形のところに何故長城が必要なのか疑問にも
感じるが、北方民族に対して領土の境界線を示す意味もあっ
たようである。海抜1000mくらいのところにある。
金山嶺長城と隣接しており、金山嶺長城からも行ける。
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司馬台長城入り口。英国人観光客と筆者。
碑には「万里の長城は世界で最高である、中国の長城の中で
も司馬台長城が最高であるといえる」とある。後方にかすんで見
える山脈の上に建設されている。 右側に見えるリフトで中腹ま
で行ける、更に短い別のリフトにつながるが、後は急激な坂道を
手すりにつかまりながら登らねばならない。
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司馬台長城を歩く。長城の道自身もかなり急な傾斜になってい
る。当日観光客は殆どいなく、先を歩く二人は英国人観光客と
中国人ガイドである。 この英国人観光客香港生まれでロンドン
在住のい中、驚いたことに万里の長城は北京から最も遠い最も
観光客の少ない司馬台長城を選んだ。
ホテルの団体バス旅行に申し込みをしたが、他に希望者がなく、
団体料金で乗用車で観光客二人に運転手とガイド付きという
ゆったりした観光になった。
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司馬台長城の手前にあるのが金山嶺(Jinshanling)長城です。
司馬台長城までつながっており歩いて行くことができます。
比較的なだらかで変化に富んだ長城でおすすめの長城の一つです。
交通は司馬台よりも不便で、時間がかかりますが、じっくり司馬台
まで歩くのも一興でしょう。
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八達嶺長城は北京周辺の万里の長城に中で最も有名である。
連日多くの観光客を集めている。長城といえば八達嶺長城に案
内される。
一般的すぎてまた観光客も多すぎてあまりおすすめではない。
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八達嶺長城から20キロくらい西北に延慶県がありそこに龍慶峡と
いう峡谷がある。桂林の風景に似たところで一見の価値がある。
リフトや船に乗って行くため一日の日程が必要であり、八達嶺のつ
いでに行くわけには行かない。距離が離れているためか、外国人
観光客は少なく北京現地の観光客が多い。
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大境門(ダジンメン)。北京の西北220kmのところに張家口(ジャ
ンジャコウ)という町があり、この町の北側に珍しく町を横切る形の
長城がある。北に内蒙古自治区の大草原、西に山西省を望む
交通の要衝です。
古くから蒙古との交易の拠点でもあったところです。
国民党との抗争の中で人民解放軍がこの門から首都に入城し
た事でも有名です。
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大境門の長城上部通路。 前方に見える山脈と後方の山脈が
万里の長城でつながっている。右側に見える土で固めた建造物
が明代以前に造られた昔の烽火台と思われる。この長城は小石
を積み重ねた部分などもあり、明代以前の工法もうかがい知るこ
とができる。
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居庸関(きょようかん)長城。外国人観光客が真っ先に行く八達
嶺(はったつれい)長城の近く北京から行くと手前にある。 八達嶺と同じく観光客(こちらは主として中国人)が多い。
北京の北西の守りの要衝、満州族の兵がここから入城し清朝成
立のきかけとなった。
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水府関長城。
居庸関長城のそばにある。
珍しく川を横切る形の美しい長城である。
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老龍頭(ラオロントウ)。北京の東300kmのところにある。 現在万里の長城は東は山海関(さんかいせき)に始まり西は嘉
峪関(ジアユウグァン)に終わると言われているが山海関の東にあ
り海に接するところが老龍頭である。
万里の長城の事実上の東の出発点である。
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秦皇島(しんこうとう)の始皇帝像。
始皇帝が永遠の生命を願って海に入水した所。
秦皇島は中国では唯一皇帝の名前にちなんでつけられた地
名である。
山海関のそばにある。
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秦始皇帝巡幸の図。(中国通史より)
始皇帝は完全防護の馬車の幌の中にいる。
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蒙姜女(もうきょうじょ)廟の像。始皇帝による万里の長城建
設のため夫が過労死し、それを知ってその場で自害して果て
たという。昔から貞女の鑑とされる。
また、万里の長城の建設のため一般庶民がいかに過酷な労
役を課されたかを今に伝えるエピソードとなっている。
山海関の東20kmのところにある。
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甘粛省の河西回廊にそって嘉峪関(かよくかん)に向かって漢時
代の長城が延々と続く。
なかには漢時代の長城を明時代になって修復しているものも見
受けられる。
これは張掖(ちょうえき)の東山丹(シャンダン)にある漢時代の
長城です。
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万里の長城は東は山海関に始まり、西は嘉峪関に終わると
言われている
明時代の最西端の関所で堂々たる風格を備えています。
かなりの兵員を常駐させていたものと思われます。
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嘉峪関長城のすぐ東隣にあるのが懸壁長城です。
険しい断崖を駆け上がるような感じで造られた長城です。
頂上まで登ってみたかったのですが、時間の関係で省略
せざるを得ませんでした。
これだけ険しい表情の長城も珍しいのではないでしょうか。
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嘉峪関長城のさらに西、北大河の絶壁で長城は途絶えています。
まさに事実上の終点です。
この絶壁は垂直になっており、自然の難攻不落の長城といえる
でしょう。
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