瀋(沈)陽は遼寧(りょうねい)省の省都であり、昔は奉天とも呼ばれたところでもあります。
(注)沈は瀋の簡体字であり、日本語でいう沈むという意味はありません。沈むの簡体字は別に
あります。
満州事変の発端となった柳条湖(柳条溝と一般にいわれているのは誤り)はすぐ北にあります。
この省の政治、経済、文化の中心都市で人口は360万人、中国の重工業基地の一つでも
あります。満州族の清王朝の発祥の地でもあり、清王朝ゆかりの遺跡も少なくありません。
冬は寒く−40°になると言われていますが、空気は新鮮で水も澄んでいます。
瀋陽へは2007.9.21〜23の日程で訪問しました。
大連は中国の東の玄関口に当たるところ。海に面し景色も抜群で日本人居住者も多い。
やや坂道の多い地形なので他の中国も町と異なり自転車の利用者がが少ない。
大連のそばの旅順口(りょじゅんこう)は日ロ戦争の行方を決める最大の争奪地となったところで
ある。旅順口を望む高台・203高地(標高203M)は日ロの壮絶な争奪戦の戦場となったとこ
ろである。乃木将軍率いる日本軍はロシアバルチック艦隊との日本海決戦前に決着をつけるべく
多大の犠牲を払いました。二人のご子息もここで戦死されています。                               大連は日露戦争後日本が租借したため、建物、道路など日本の面影が残っています。日本が
敷いた市電が今も使われています。現地の人の話によると日本人が造ったトンネルは水漏れがな
く最高だと言っていました。                                                      第二次大戦後ソ連の管理下に置かれソ連の面影も色濃く残した町です。

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瀋陽(沈陽)のテレビ塔から市内を望む。
下に見えるのが青年公園。
先の方にかすんで渾河(こんが)が蛇行して流れている。
日本が建設したと言われる市政府の建物も残っています。
市の中心地は夜店も賑やかです。

瀋陽(沈陽)の故宮。
清の太祖ヌルハチ(努尓哈赤)と太宗皇太極が建設、使用した
北京に入る前の皇宮です。
北京の故宮に比べると規模は小さいが、色彩や建物の様式は
うりふたつです。
これは皇后の居室です。皇帝の玉座は残念ながら写真が撮れ
ないようになっていました。

東陵(清福陵)。
清の始祖ヌルハチの陵墓です。
様式は北京郊外の東陵、西陵と全く同じです。
風水を重んじ南に川北が小山になっている。(北陵も同じ)

北陵(昭陵)。
太宗皇太極の陵墓です。
市内の北側に位置し、池のある広い公園も兼ねています。

9.18記念館(抗日記念館)。
満州事変の発端となった柳条湖(奉天の北側)で関東軍による
満鉄爆破事件が1931年9月18日に起こった。
江沢民時代に建設された記念館で本をひろげた形になっている。

棋盤山(チーパンシャン)のある公園。
湖(秀水湖)は人口のダムになっている。
冬は勿論凍結して厚さ4〜5Mの氷が張るという。

棋盤山の山頂にある将棋盤そっくりの岩。
盤上にある将棋の駒はもちろんあとから付け加えられたもの。
囲碁よりも中国将棋のほうが身近に感じられるのでしょう。

公園の入り口。
道教の八仙のうちの二人、向かって左側 張果老
(ちょうかろう)と右側 呂洞賓(ろどうひん)が中国将棋を
対局している様子が描き出されている。

本溪(ほんけい)水洞。
瀋陽(沈陽)の西北114kmのところにある、水深平均2m
の水をたたえた珍しい鍾乳洞。
全長2.5kmある。船に乗って往復するのに40分くらいかかる。

203高地記念塔。
激戦の後の砲弾の破片を集めて記念塔を作った。
多くの日本兵、ロシア兵が命を落とした場所としての日露
戦争の記念碑でもある。

203高地から旅順口を望む。
左手に見える白玉山が旅順口を見下ろす最適な場所にある
が、日本人の立ち入りが禁止されている。
乃木大将の二人のご子息の墓があるためである。             過去に日本人が大勢押しかけて問題が生じたためかもしれな
い。

大連海岸線から見る海の景色はすばらしい。
大型船が行きかう景色も見られる。
ただし、この写真の形のよい松は人工的なものです。

船より大連港をのぞむ。
大型船も入港する海の玄関口です。
高級マンションも建ち並び、価格もびっくりするほどの高値で
す。

大連市内にあるロシア街。
ロシア風の建物が建ち並んでいます。
大連の夜の観光スポットの一つ。