洛陽(らくよう)に都ないし副都を置いた王朝は九つにのぼる。
その繁栄の絶頂は隋・唐の時代である。   
黄河中流の南に位置し交通の要衝であった。
洛陽の地名は「洛河」の北という意味である。(陰陽でいうと山の南が陽、北が陰、河の南が
陰、北が陽になる)                               
長安(西安)が政治の舞台であったのに対して、洛陽は経済、学問、文化の中心であった。
日本からも小野妹子や空海など遣隋使、遣唐使が送られている。                       中国三大石窟の一つ龍門石窟や拳法で名高い少林寺、中国最古の寺院白馬寺、関羽
を祀った関林、白楽天の墓などがある。
唐の三大詩人の一人杜甫は洛陽の生まれである。

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龍門石窟。洛陽から南へ15km伊河(いが)を挟んで両側に
石窟がある。船からの石窟風景。留学僧としてこの地を訪れ
た空海は感嘆の声をあげたという。石窟が2,300あまり、十万
体の仏像、40以上の石塔が並ぶ。敦煌莫高窟(とんこうばっ
こうくつ)、大同雲岡石窟(だいどううんこうせっくつ)と並ぶ中国
三大石窟の一つ。

龍門石窟最大のみどころ。奉先寺洞(ほうせんじどう)の高さ
17mの盧舎那(るしゃな)大仏、初唐期彫刻の傑作として名
高い。

盧舎那大仏近影。日本の奈良の大仏にも影響を与えたと言
われる。その容貌は則天武皇に似せて作られたといわれる。
龍門石窟の造営に則天武皇が力を尽くしたためことによるもの
とみられる。

白楽天(白居易)の墓。
唐代の詩人、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを詠った長恨歌
(ちょうごんか)は有名。
伊河をはさんで龍門石窟を望む丘陵にある。

白楽天(白居易)像。
楽天は字(あざな)。

少林寺の山門。洛陽から東南に70km崇山(すうさん)にある。
中国武術の精髄は少林寺にありといわれる。多くの英雄豪傑
がこの寺から輩出した。
現在は周辺に多くの武術の学校がある。
唐王朝の成立に貢献したこともあり朝廷の助力を得て発展し
た。宋代には2000人の僧を擁し、明代に最盛期を迎えた。

塔林(とうりん)。
歴代住職と高僧たちの墓、250基以上ある。

白馬寺(はくばじ)入り口。
中国最古の仏教寺院。洛陽の東12kmのところにある。後漢の
明帝が宮殿に仏が飛来してきた夢を見て、西域に使者を送り
天竺(インド)より教典を取り寄せさせた。
その教典を運んできたのが白馬であったことから名付けられたとい
われる。白馬の像と筆者.。

関林(かんりん)入り口。三国志の英雄関羽を祀ったところ。他
の地域では関帝廟と呼ばれるが、ここでは聖人の墳墓に用いら
れる「林」という字を使っている。 壮大な境内には舞楼、大門、
鐘鼓楼などがあり奥の方に関羽の首塚がある。入り口右側には
「忠義」と大書されている。関羽は義を重んずる人であったので、
死後商売や戦の神様として国内のみならず海外でも広く祀られ
ている。

関林大殿。高さ26mの屋根は瑠璃瓦で葺(ふ)かれている。

関林大殿に祀られている関羽像。
関羽は忠、義、仁、勇の徳をたたえられ関公と呼ばれる。

関羽首塚。蜀(しょく)の将軍関羽は呉の将軍呂蒙(りょもう)
の策略にかかり殺されてしまう。その後首級は魏(ぎ)の国曹操
の元に送られてくるが、曹操はこれを懇ろに葬ったという。彼の死
に関係した人物は例えば呂蒙や曹操はまもなく病死している。
関羽の祟りとして恐れられたという。日本の菅原道真公と似たよ
うな理由で関羽の廟が祀られる発端となったようである。 
彼の信義を重んずる精神、またその武勇は中国の庶民の間で
圧倒的な人気がある。

大刀を手にした関羽像。彼は大刀の名人であった。
また自慢の立派な髭をたくわえており美髭公(びぜんこう)とも
よばれた。