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西安の東50キロのところで1974年揚という農民に
よって発見された。西側にある秦始皇帝の陵を守
るための素焼きの兵馬が6000体以上発掘されてい
る。当時の戦闘体勢そのままの形である。
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兵の俑(よう)、俑は人形の意味である。殉職者の代わりに
副葬した。一人一人の体形、顔つきや衣裳が異なる。
民族も様々である。手には青銅製の武器を持っていた。
身長は平均180cmとなっている、実物より大きめに作られて
いる。
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青銅製の馬車のレプリカ。始皇帝はこの馬車に乗って移動
したものとみられる。
精巧な作りになっている。
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唐三彩の焼き物。褐色、緑色、藍色三色で彩色されて
いる。唐時代の傑作とされる。現代の技術でもこの色は
出せない。
唐三彩の代表的作品で唐時代のシルクロードを使っての
活発な交易の様子がうかがえる。
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秦始皇帝(前259〜前210)陵。38年間70万人を使って建
造されたとされる。この中に始皇帝を弔った史上最大の地下
宮殿が眠っている。湖や河に盗掘防止のため一面に水銀を
流し込んであるといわれ、発掘は今なお危険で当分は発掘
の計画はない。
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秦始皇帝陵での秦時代の兵の踊り。手には当時の長い武器
を持ち平均身長180cmの兵の踊りは迫力がある。秦の軍隊が
強かったのがわかる気がする。
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華清池(かせいち)と楊貴妃(719〜756)像.。華清池は玄宗
皇帝(685〜762)と楊貴妃のロマンスの場所としても有名であ
る。白楽天の長恨歌にも詠われている。
玄宗皇帝の寵愛を受けて栄華を極めるが、戦乱で殺され、
悲劇のヒロインとなる。
中国四大美人の一人。
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乾陵。中国唯一の女帝・則天武皇とその夫であった高宗を
合祀した陵墓。参道の両側の石像がすばらしい。
陵墓は先の方に見える小山の中にある。唐時代最も繁栄し
た時代であり、この地下宮殿も秦始皇帝陵に匹敵する規模
をもっているのではないかと思われる。
近々発掘を始めるという情報もある。
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則天武皇(624〜705中国では武則天という)挿絵。科挙の
制度を推進し広く人材を集める、仏教を擁護するなど、治世
は安定していた。国号を一時期唐から「武周」に改めた。しか
し、権力のためには太子や皇女など身近な者まで死に追いや
るなど残虐な一面をもっていたので後世の評価は分かれる。
乾陵には文字の書かれていない碑がある、後世の人が自分の
評価をして書けばよいとの意思であったようだが、今なお無字
碑になっている.。
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唐時代の踊り、当時の衣裳や雰囲気を再現して見せてくれます。
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阿倍仲麻呂(698〜770)記念碑、「天の原ふりさけ見れば春
日なる三笠の山に出し月かも」という本人の歌と、李白の追
悼の詩が刻まれています。19歳で遣唐使として長安に留学、
玄宗皇帝に寵遇され、また海難に阻まれて在唐五十余年そ
の間節度使として安南(ヴェトナム)に赴き治績をあげた。つい
に帰国を果たせず長安に骨を埋めた。(備考:追悼の詩)
長安で詠んだ「天の原…」の歌は押さえきれぬ望郷の念が聞
く人の胸を打ちます。長安で玄宗皇帝、楊貴妃、李白と同じ
時代で付き合いが深かったということです。
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西安の郊外にはこのようなすばらしい別荘もあります。
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