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外灘(ワイタン)の夜景はすばらしい。
右側の黄浦江をはさんで高層ビルが林立する浦東地区がある。
有名なテレビ塔も河をはさんでこの対面にある。
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観光船にのってテレビ塔(東方明珠塔)のある浦東の夜景を楽しんだ。
テレビ塔の上部に回転レストランがある。夕食とともに上海の夜景を堪
能できる。値段もまあまあリーゾナブルです。
黄浦の夜間の観光船は数か所からでているが日によって異なるので、
注意が必要です。テレビ塔の奥に88階の金茂大厦、さらに奥に森ビル
が建設中の最高層のビルが見えています。
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南京路。
上海の中心地にあり最も人出の多い商店街。
東京で言えば銀座、北京でいえば王府井(ワンフーチン)に相当
するところ。
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豫園。明代の私庭園であった。
花木と石を複雑に組み合わせている。
上海の市内にあり多くの観光客を集めている。
そばにある小籠包(シャオロンポウ)の店は有名。
東京六本木にも支店を出している。
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豫園内部。
塀の上に見事な龍が置かれている。
更に上の方の屋根の上には三国時代の武将の像を見ることが
できる。
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魯迅公園にある魯迅の像。
「阿Q正伝」などの著作で有名、中国の国民性を批判した。
浙江省の生まれだが活動の中心は上海にあった。
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魯迅公園でダンスに興じる人々。
数多くのダンスのグループがあり、それぞれのミュージックで踊って
いる。
魯迅公園は入場無料となっている。
中国ではこういう風景はあらゆる公園で見受けられる。
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市内虹口地区多倫名人街にある魯迅像。
学生達と懇談しているところ、当時の写真をもとにそのまま再現
されている。
この路地にはその他の文化人郭沫若などの像が置かれている。
チャップリンの像まである。
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上海の西の方に七宝という古鎮(古い町)があります。
上海から一番近い水郷でしょう。
他の水郷と比べるとやや範囲が狭いようですが、落ち着いた
雰囲気は味わえます。
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上海市内の西南の位置にある龍華寺。
三国時代242年、呉の孫権が建立したといわれる。
寺の前に建つ龍華塔は七層八角の仏塔で高さ40.4m。
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静安寺。
地下鉄静安寺駅の真上にある。
まさに町の中心地にあり、周辺は高層ビルで囲まれている。
三国時代の創建、北宋の時代に現在の静安寺の名称となった。
現在まだ工事中のところがある。
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上海市内北の方に位置する嘉定区南翔鎮にある古猗園(guyiyuan)。
明時代の造営。
この南翔(nanxiang)地区は小籠包(しゃおろんぽう)の本場でもある。
15元(240円)で20個の本場の小籠包を味わうことができた。
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嘉定区にある法華塔。
南宋の時代の建立。
七層になっており上まで上がることができる。
嘉定区の街並みが一望できるところである。
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朱家角(ジュジァジァオ)。
古い水郷、大小さまざまな橋が架かっている。
入りくんだ水路はなかなか趣がある。
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放生橋(ハンセンチャオ)。
魚など生き物をこの橋から放すと良い報いがあるといわれる。
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周荘(ジョウジュアン)。
上海市と江蘇省の境にある900年以上の歴史を誇る水郷。
村の中を運河が井の字に走っている。
家も明時代に建てられた古い家屋そのままである。
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周荘入り口にある塔。
日本は五重の塔が多いが、中国では塔は七重以上となって
いる。
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蘇州は上海から車で一時間半位西に行ったところにある。
呉越の時代の呉の国の都姑蘇のあったところである。
代表的な庭園拙政園。蘇州四大名園の一つ。
敷地の60パーセントが池や堀になっている。
水と樹木のコントラストがすばらしい。
このほか獅子林、留園、滄浪亭などが有名である。
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獅子林。
太湖から穴の沢山空いた白い石を引き上げ配置されている。
中には獅子そっくりの石もあるが、これは獅子に似せるため人の
手によって若干加工されている。
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蘇州は水の都といわれ、東洋のベニスとも称される。
水路が縦横に張り巡らされている。
水路に架かる橋は石作りのものが多く、大きな船も通れるようになって
おりその形はなかなかに見応えがある。
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盤門(ばんもん)。伍子胥(ごししょ−呉の宰相)が呉王闔閭(こうりょ)
の命を受け建立したといわれる。BC509年(呉王闔閭6年)建立。
現存するものは1351年に再建されたもの。堅固な城壁と運河を組み
合わせた独特の作りである。
伍子胥は闔閭亡き後その跡を継いだ夫差に仕えたが、越を注意
するようしつこく言い過ぎて夫差に嫌われ最後は自殺に追い込まれる。
史実は伍子胥の心配したとおりとおり呉は越に滅ぼされ夫差も自ら命
を絶つ事になる。
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剣池。呉王闔閭の本当の墓。闔閭は越との諍いの中で傷つきその傷
がもとでなくなるが、その子夫差に越への復讐を誓わせた。
ここには亡くなった闔閭とともに多くの剣を沈めたことから剣池と呼ばれる。
呉音の伝来、臥薪嘗胆の項目を参照下さい。
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虎丘の斜塔。闔閭の墓陵。葬儀の三日後に白い虎が現れて墓の上に
うずくまったので、虎丘と呼ばれるようになったといわれる。
宋代961年に建立。正式名は雲岩寺塔という。
七層八面のレンガ作りとなっている。重さ6000ton。
高さ47.7m、北東に向け2.34m、3°59分傾いている。
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蠡園(れいえん)は范蠡(はんれい)と呉王夫差の元に送られていた
絶世の美人、西施(せいし)が呉越の戦いに勝って、二人で幸せな
生活を送ったところと言い伝えられているところ。
ただし、范蠡は呉の滅亡を見届けてすぐに越王勾践の元を離れ遠く
に逃れたと言う説もあり、2500年前のことであり真偽のほどは定かでな
い。「追う兎がいなくなれば狗は煮られる運命にある」と言ったといわれる。
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蠡園にある范蠡と西施の睦まじい仲を描いた作品。
ハッピーエンドの物語としている。
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蠡園にある西施の像。
最近作られたもの10年前にはなかった。
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げん頭渚公園は小さな湖をはさんで蠡園の向かい側にある。
半島の形がすっぽんに似ている所から名付けられたもの。
この左手の小高い山には「無錫旅情」の歌でも名高い鹿頂山
(ろくちょうざん)がある。
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げん頭渚公園から船で約二十分の所に太湖仙山(三山)がある。
形はやはりすっぽんが首を伸ばした形になっている。
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太湖にある島「西山」に行った。途中二つの島をつないで橋ができた
ため、三つの橋を渡って車で行くことができるようになった。
西山の最先端にある半島が西公山である。昔呉の王の別荘だった
所ともいわれている。
三方を太湖に囲まれている。
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西公山からの太湖の眺め。琵琶湖の四倍ほどの広さがある。
当日はかすんでいて遠くまでは見通せなかった。
周辺の生活排水工業廃水が流れ込んで、近年は水質汚染が問題
となっている。
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太湖西山の東にある東山に行った。
東山は呉越の戦場となったところです。
東山に啓園があり、その中に湖に突き出した形でのあずまやがあり
ます。
ここからの太湖の景色は抜群です。
西山より水は澄んでいて小魚が沢山泳いでいるのが見られます。
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啓園から見える太湖に帆船が二艘浮かんでいました。
呉の国は舟の操縦に長け海戦を得意としていましたので、呉の時代
の帆船を復元したものではないかと思われます。
越に敗れた際このような舟で日本まで逃れてきたのではないでしょうか。
中国あれこれ「呉音の伝来」の欄を参照下さい。
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2007.11上海訪問のメンバーと上海在住の留学生との会食。
国籍からいうと日中韓三国の交歓会ともなりました。
(上海のレストラン和平官邸にて、後列左端が筆者)
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2007.12上海訪問の際の現地留学生、漢院(中国語学校)の
皆さんとの会食。
右端が筆者。
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