三国志とことわざ

中国語とことわざ、格言、成語(四字熟語が多い)は切り離せない関係
にあります。ことわざ、格言や成語は短い言葉で趣旨が明確に伝わるので、
中国の新聞の見出しにもこれらが多く使われています。歴史的故事を知
らないと何を意味するのか理解できない場合があります。
とりわけ三国志の中には後世の人の戒め、指針となることわざが多いのです。
日本に伝わってきているものと伝わってきて使われているものといないものと
がありますが、以下いくつか列挙してみましょう。
(1)関公面前舞大刀(関羽の面前で大刀を振り回すこと)
関羽は大刀の名人でしたので、その面前で大刀を振り回すのは「身の程
知らず」という意味となります。

大刀を持つ関羽
彼は大変立派な自慢の髭をもっていた。美髭(びぜん)公ともよばれる。
髭をなでる関羽

関羽は信義に厚い性格であったので商売の神様として「関帝廟(かんていびょう)」
が数多く建てられ庶民の信仰の対象になっています。(「関帝廟」の欄参照)
(2)髀肉(ひにく)の嘆
劉備が劉表のところに身を寄せているとき、涙したのを劉表に聞かれて答えた言葉
から、即ち、馬に乗って戦場に赴くことがない日が続き髀肉(太ももの内側の肉)が
肥え太ったことを嘆いたことから、功名を立てたり力量を発揮する機会に恵まれない
無念さを言い表す言葉となった。
(3)三顧の礼(劉備が三たび諸葛孔明の庵を訪れて軍師に迎えた事例から)
目上の者が礼を厚くして頼むこと
(4)水魚の交わり
三顧の礼で迎えた孔明と劉備が日夜親しく語り合うのを義兄弟の関羽と張飛が面
白く思わず不満を劉備に言ったのに対して劉備が答えた言葉です。「我の孔明ある
は、魚の水があるが如きなり」、即ちなくてはならない、切っても切り離せない関係で
あることを説明したのです。
(5)士は三日見ざれば刮目すべし(士別三日刮目相看)
「呉」の将軍呂蒙(りょもう)の言葉です。以前の自分とは違うのだということを強調し
ています。 呂蒙は若い頃は武勇一点張りであったが、ある時主君の孫権にさとされ、
一念発起学問に励み、学者をもしのぐほどの学識をもつに至った。呉の将軍魯粛
(ろしゅく)が後輩呂蒙と会って話をすると、以前の彼とは全く違っているので「呉下の
阿蒙にあらず(「阿」は…「ちゃん」という感じ)」と驚いている魯粛に対していった言葉
です。呂蒙は魯粛なきあと対関羽戦の指揮を執り、関羽の性格を見抜き、関羽を
陥れ、破ることになる。戦略家としても抜きんでた存在になったのです。「呉下の阿蒙
」は昔のままで進歩のない人物、学問のないつまらない人物を指すようになった。

呂蒙像

(6)泣いて馬謖(ばしょく)を斬る(揮泪斬馬謖)  
「劉備」亡き後「孔明」は何度か「魏」との戦いのため北伐を行ったが、最も才能に恵
まれ将来を嘱望していた部下「馬謖」が彼の軍令に背いたため、これを許せば軍律
が保てないと、心の中では泣きながら斬罪にした有名な故事です。
孔明は法家の流れをくむとみるべきか、法や規律を細かく定め、これを厳しく遵守さ
せた。ただし、馬謖の事例にあるとおり、私情をいっさい挟まず、信賞必罰すべてを
公正に処理したようです。孔明の治世下法の遵守、違反した場合の処罰は厳し
かったが市井に怨嗟の声は全くなかったとつたえられています。孔明が私心がなく、
まさに公明正大であった証でしょう。
今年三月成都でタクシーの助手席に乗ったとき、中国では初めてシートベルト着用
を運転手から厳しく注意された(北京などではシートベルトをすると運転手から逆に
必要ないと注意される)。
さすが孔明の国だなと感心させられました。

三顧の礼
武侯祠孔明像

「蜀」は険しい山道を通らなければならない地形であった。外敵の進入を防ぐ
には絶好の地形ではあったが、外征するには兵糧を含め運ぶのが大変であっ
たようである。
このような険路でも運べるよう、孔明は一人で物資を載せて運べる一輪車を
考案したという。

蜀の国に通ずる桟道(中国通史より引用)
孔明の発明した木牛馬車

(7)白眉(はくび)
馬謖は五人の兄弟の一人であったが、五人とも才能に恵まれ優秀であった
といわれています。その中でも馬謖の兄馬良が最も優秀であったといわれる。
彼は眉毛が白かったところから優れた同類の中でも特に傑出している人や
物のことを言うようになった。
(8)説曹操,曹操到(噂をすれば影)
曹操の話をしていると、曹操がやってきた。
(9)死せる孔明、生ける仲達を走らす
孔明は魏との戦闘のさなか、戦場でその生涯を閉じることになるのですが、
死期を悟り撤兵(戦の中で撤兵が最も難しいといわれる)についての細か
い指示を部下に与えていた。魏の仲達は無防備になった敵陣を看て孔明
の死を信ぜず、これも孔明の策略と感じ、罠に陥ることをおそれ、兵を引き
上げた故事による。

司馬仲達像

(10)楽不思蜀(ラーブスシュウ)
「今の生活が楽しくて故郷の蜀の事は恋しいとは思わない」という意味です
が、この言葉を言ったのが、劉備の息子蜀の二代目劉禅(りゅうぜん)です。
孔明亡き後、蜀は魏に滅ぼされ、劉禅は魏の都にとらわれの身となった。
いまの魏での生活はどうかと聞かれて答えた言葉です。
この言葉をみても劉禅が暗愚であったことが十分窺えると思います。

劉禅像